医療DX シリーズ / 移行プレイブック

オンプレ→クラウド 段階移行プレイブック
検査を止めずに LIS を移す

「あるべき姿」は描けても、実務で最初に詰まるのは「今 24/365 で動いている検査を止めずに、どう移すか」。評価 → PoC → 並行稼働 → 切替 → 旧環境廃止の 5 フェーズ、AWS 7R の検査業務への当てはめ、データ移行とロールバック基準まで、移行のリスクを構造で押さえる。

医療DX シリーズ: 目次 ① 工程表 全体像 ② 法規制対応と技術要件 ③ 受注資格 ④ セキュア実装 データインテグリティ AI 活用 ★ 移行プレイブック(本編) FHIR/JLAC11FAQ・用語集

なぜ「移行」を独立した観点で扱うのか

シリーズ①〜④は「クラウドで LIS をどう作るべきか(あるべき姿)」を描いた。だが現場にはすでに動いているオンプレ LIS があり、検査は土日も夜間も止まらない。「あるべき姿」と「今あるもの」の間には移行という断層がある。ここを設計せずに提案すると、机上論で止まる。

検査システムの移行が一般的な業務システムより難しいのは、止められない(救急・時間外も稼働)・間違えられない(結果は診断の根拠)・戻れないと困る(切替失敗時のロールバック)の三重制約があるから。本編はこの制約下での段階移行を、フェーズ・戦略・データ移行・撤退基準の4点で構造化する。

本編はシリーズの「深掘り編」。②④が「移行先の作り方」、本編が「そこへの渡り方」。移行時のデータの真正性はデータインテグリティ編に、移行後の継続運用は別途「運用編(予定)」に接続する。

このプレイブックのスコープと網羅性の根拠

スコープ宣言(対象と対象外)

区分内容
対象稼働中のオンプレ臨床検査部門システム(LIS)を AWS クラウドへ移す段階移行の設計。フェーズ分解、AWS 7R の当てはめ、データ移行の手段と検証、並行稼働・カットオーバー・ロールバックの判定基準。
対象外① クラウドのあるべき設計・実装(アーキ・認証・暗号)→ シリーズ②④。② 移行時に保つべき記録の真正性(ALCOA+)の詳細 → データインテグリティ編。③ 移行後の定常運用・監視・SLA → 運用編(予定)。④ 個別製品の移行手順書(ベンダー依存)。

網羅性の根拠 — なぜ「これで足りる」と言えるか

移行の失敗は「手順の抜け」より「どの軸で見落としたか」で起きる。本編は 2 軸で機械的に押さえる。

この2軸で「いつ・どの要素を・どの戦略で動かすか」を漏れなく配置する。残リスクは「①追加技術/②運用/③契約・SLA/④受容」の4分類で引き取り先を明示する。

1検査システム移行の三重制約

制約意味移行設計への要求
止められない救急・時間外・休日も検査は走る。長時間のダウンタイムは患者安全に直結ダウンタイムを分単位に抑える切替設計、または無停止の並行稼働。深夜帯の短時間カットオーバー窓を確保
間違えられない検査結果は診断の根拠。移行時のデータ欠落・変換誤り・取り違えは誤診に直結移行リハーサルでの全件突合、変換ロジックの検証、移行中の記録の真正性維持(ALCOA+)
戻れないと困る切替後に重大障害が出ても「昨日に戻す」が効かないと業務が止まる明確なロールバック基準と、旧環境を一定期間 Retain(即座に戻せる状態)で保持
この三重制約が、移行を「ビッグバン(一括切替)」でなく「段階移行」に向かわせる。 一度に全部切り替えると、止まった時の影響が全面化し、戻すのも全面ロールバックになる。要素ごと・段階ごとに移すことで、影響とロールバックの範囲を小さく保つ。

2移行の 5 フェーズ

Phase 1
評価
現行棚卸し・依存関係・データ量・装置IF・規制要件の把握
Phase 2
PoC
小範囲で技術検証。性能・連携・データ変換を実証
Phase 3
並行稼働
新旧を一定期間並走、結果を突合し新環境の信頼を積む
Phase 4
切替
短時間カットオーバー。判定基準クリアで本番を新へ
Phase 5
旧環境廃止
安定確認後に旧を Retire。それまでは Retain で即復帰可能に

各フェーズの要点

Phaseやること抜けやすい点
1 評価アプリ/データ/装置IFの棚卸し、依存関係マップ、データ量と保存期間、規制要件(3省2GL・検体検査精度)、各要素の 7R 仮決め分析装置との独自プロトコル/ファイル連携、外部システム(電子カルテ・会計)連携の洗い出し漏れ
2 PoC代表ワークロードで性能・スループット・連携・データ変換を小範囲実証。コスト試算の前提取得本番のピーク負荷(朝の検体集中)を模さず「動いた」で満足する
3 並行稼働新旧を同時に動かし、同一入力に対する結果を突合。差分ゼロを一定期間維持して新環境の信頼を確立並行期間が短すぎる/突合を一部だけにする(全件・全項目で照合)
4 切替判定基準クリアを確認し、深夜等の短時間窓でカットオーバー。ロールバック手順を待機切替判定基準を事前に数値で決めていない(後述)
5 旧環境廃止本番安定(例:N 週間無重大障害)を確認後、旧を Retire。法定保存データは新環境/アーカイブへ移管済みを確認旧を早く消しすぎて戻れない/保存義務データの移管確認漏れ

3AWS 7R を検査業務に当てはめる

「全部 Refactor(作り直し)」は時間も金もかかり、検査停止リスクも最大。LIS を構成する要素ごとに、適切な R を選ぶ。

戦略内容検査システムでの当てはめ例
Rehost
(Lift & Shift)
変更せずそのままクラウドへ。最速・低リスクまず止血的に EC2 へ載せ替え、後で段階的に最適化。MGN で自動移送
Replatform作り直さず一部を最適化(DB をマネージドに等)オンプレ DB → Amazon RDS、ファイル共有 → S3。コスト・運用負荷を下げる現実解
Refactorクラウドネイティブに再設計(マルチテナント SaaS 化等)標準仕様 1.0版が求める SaaS/FHIR/ゼロトラストへの本格対応。効果大だが工数・リスク大、段階導入
Repurchase自前運用を SaaS/第三者サービスに置換周辺機能(帳票・通知・認証基盤)をマネージド/SaaS に寄せる
Retain当面は現環境に残す(まだ移さない)装置直結の制御部や移行リスクが高い部分は残置。切替後の旧環境も一定期間 Retain=即ロールバック用
Retire不要なものを廃止使われていない旧機能・重複システムを移行を機に整理
Relocate仮想基盤ごと大量移送(VMware 等)多数サーバを一括でクラウド版基盤へ。大規模検査センターの一斉移送
実務の定石
Rehost/Replatform で素早く移し、その後フェーズを分けて Refactor が検査システムでは安全。最初から Refactor(フル作り直し)に走ると、移行と新規開発のリスクが同時に乗る。まず動かし、止血してから、標準仕様 1.0版が求めるクラウドネイティブ化(②参照)へ段階的に進める。

4データ移行 — 手段・変換・リハーサル

AWS の移行サービス(使い分け)

用途サービス勘どころ
サーバの載せ替え(Rehost)AWS Application Migration Service(MGN)物理/仮想サーバを自動変換して AWS でネイティブ稼働。継続レプリケーションで切替直前まで同期
DB の移行AWS Database Migration Service(DMS)移行中も現用 DB は稼働=ダウンタイム最小。継続レプリケーションで並行稼働を支える。異種DB変換も可
大容量ファイル/検査画像の転送AWS DataSyncオンプレ → S3/EFS/FSx を高速・暗号化・転送時整合性チェック付き。病理画像など大容量に
標準コード/形式の変換(アプリ層)JLAC10→JLAC11、ローカルコード→標準コード、HL7 v2→FHIR の変換は移行の核心。詳細は実装側で(②参照)

移行リハーサルと整合性検証(間違えられない制約への答え)

DMS の「移行中も現用 DB が動く」特性が、検査システムの並行稼働を可能にする。 継続レプリケーションで新環境を最新に保ちつつ、本番は旧で走らせ、結果を突合 → 信頼が積めたら切替。これが「止めずに移す」の技術的な土台。

5並行稼働・カットオーバー・ロールバック基準

切替は「気合い」でなく事前に数値で決めた判定基準で実行・中止する。基準を決めずに当日判断すると、戻すべき場面で戻せない。

切替 GO の判定基準(例)

ロールバック基準(事前確定・当日裁量を挟まない): 切替後一定時間内に「結果が出ない/値が疑わしい/外部連携が落ちる」のいずれかが発生したら、議論せず旧環境へ即戻す。旧環境は廃止前まで Retain で待機。戻す判断の遅れが最大のリスクなので、トリガーと実行者を事前に決めておく。

並行稼働は「念のため」でなく、新環境の信頼を数値で積み上げる工程。突合差分が説明できない間は切替しない——これが「間違えられない」制約への規律。

6よくある落とし穴(移行が失敗する典型)

ABOUT

本シリーズは、医療情報システムの開発・クラウド化を手がける X Harumi が、公的な一次資料を根拠条項まで遡って再整理したものです。AI 活用支援・業務効率化・DX 推進・システム開発を提供しています。

最終更新:2026-05-25 / 次回レビュー目安:2026-08-31 / © X Harumi